詮量山 妙福寺

妙福寺について

詮量山妙福寺は、元和元年(西暦1616年)の大阪復興事業の際に、鉄道が開通するまでの間「柏原船」を交通機関として活躍させた船株主の三田浄久の甥である「廣演院日容」によって建立されました。
江戸から明治の時代には、豊臣家の法要に参列するために来阪した加藤清正が暗殺を恐れて当山に宿泊したことで「清正公」の信仰が盛んとなり、大阪一のご利益があるといわれ、祈願成就された信者さんの幟(のぼり)が多く立てられていたとのことです。

江戸末期の天満の大火や大塩平八郎の乱などの災難からも免れ、明治時代には豪商の檀家さん達に守られて、大阪市内の日蓮宗の寺院としては、三ヶ寺という五人以上の庶家さん(住み込みで勤めておられた僧侶)がいる大寺院で、中津には末寺の導通寺がありました。
しかし、大東亜戦争の空襲によって消失し、焼け跡に導通寺を移設。
昭和40年まで使用していましたが、二十四世日海上人が一念発起し、二十五世日敬上人と共に現在の妙福寺建立に尽力され、現在にいたります。
そして、平成28 年に開創400年を迎え、庫裡客殿を増築いたしました。

ごあいさつ

当山は平成28年(2016年)に開創(この地に初めて当山が建立されたこと)400年を迎えました。私は当山の二十六世ですが、先々代の日海上人は私の師僧であり祖父、先代は父に当たります。
順番とはいえ、こういった大きな事業を任されて些か重荷に感じていますが「大事な荷物ほど重く背負い難い」と受け止め、自分の為ではなく、檀信徒の皆様はじめ地域の方々や大聖人に少しでも喜んでいただけるよう精進いたします。

寺院の特色
出張葬儀 寺院葬 永代供養 墓地
祈祷 樹木葬 ペット供養 水子供養
専用会館 駐車場 バリアフリー その他
寺院概要
住所 〒530-0053 大阪府大阪市北区末広町1-5
アクセス 【車でお越しの場合】
南森町交差点(国道1号線+ 天神橋筋)から北へ2つ目の交差点を西にすぐ
「阪神高速環状線北浜出口」又は「阪神高速守口線扇町出口」より数分
【電車でお越しの場合】
地下鉄「南森町」駅(堺筋線、谷町線)
6番出口を出て北へ向かい次の信号を西にすぐ
電話番号 06-6312-5816
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