西慶寺

西慶寺について

當山には、第十八世麟祥(明治三十四年生)が三州地理志稿、第十一世善貞〈正徳元年(千七百十一年)住職〉申上書、佐山清次郎氏調査書、明治三十二年七月従本山命当寺住職後勧学世眼編之被提出明細之写(福岡嚴照寺有此本即寫之也 昭和二十年十月二十一日)、等に拠り編纂された寺史があります。
「當刹は、芹谷千光寺に甍を並べ軒を接する数多の寺塔の一つ、元密教の道場として大日如来を安し、観世音を信奉只管修道に勤む。是大日山圓通堂の名の據って起こるところなり」とし、その位置は境内北西部に在ったとあります。圓通は観音の別号であります。
清和天皇五世の孫源頼光五代の孫光信の遠孫資包が、蓮如上人の教化に値遇し文明十七年僧となり弟子の列に加わり、後に名を釋善西と改るところとなりました。永正元年(一五〇四年)この地に草庵を営みました。是を西慶寺の開基としています。
第二代は兄善西と共に蓮宗主の教化に遇った弟の最慶が勤めました。これより西慶寺の寺號が発したと考えられます。
徳川四代家綱の代、本願寺十四代寂如宗主より當刹第九世善教の代、寛文九年(一六六九年)五月に木佛本尊下附西慶寺と寺號公称を許される事となりました。
當山は、かつて當山寺御講での御講衆(信徒の方)との結びつきが盛んで、これは、開基より山田村小谷蓮教寺に所縁ある第十四世善永に至るまでの教化に縁るところが大きいと思われます。
又、第十六世世眼(安政二年生)は、伊勢五瀨教校、彦根仏教中学、佐賀龍谷中学に教鞭を執り、佛教大学(現龍谷)教授、高野山大学教授を経て勧学(大正七年)を勤めました。又、高野山真言宗本山金剛峯寺より法印位の允可阿闍梨の称号を教与され僧上に叙せられました。晩年は帰郷し教学振興に努められました。
長年の法灯継承に感謝しつつ、今後共護法護寺に勤めてまいりたいと思います。

ごあいさつ

浄土真宗本願寺派(お西)の西慶寺のページに御来訪いただき、ありがとうございます。
開基は1504年、第20世の住職と坊守(住職の妻であり、得度を受けた僧侶)の二人が法務にいそしんでいます。と言いつつ、世事にもまみえ、住職は建築の仕事にも就いています。坊守もいろいろと活動を行っているお寺になります。
変わっていると思われるかもしれませんが、世事にまみえることも無駄ではなく、皆様方の疑問やお困りのことに少しでも理解が深まり、転じて解決の糸口を見つけていくことができるのではないかとも思っています。

寺院の特色
出張葬儀 寺院葬 永代供養 墓地
祈祷 樹木葬 ペット供養 水子供養
専用会館 駐車場 バリアフリー その他
寺院概要
住所 〒939-1431 富山県砺波市頼成213
アクセス 【公共機関の場合】
JR城端線 砺波駅から約6.9㎞
北陸自動車道 砺波高岡スマートIC から3.7㎞
電話番号 050-2019-7792
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