源八山 龍沢寺

龍沢寺について

この縁起は、今なお土地の人たちに語り伝えられています。所は、福島県の南端にある塙町、この町に遠い900年の昔、龍が存在していたという話です。
時は1057年、源八幡太郎義家は、勅命を受け、安部貞任らを征伐せんがため、福島県の最南端にある塙町に下ってきました。そして、ここにある羽黒山に陣営を敷きました。
「この義家は源義経のひいひいおじいさんに当たる。」
当時ここ塙町の常豊地区は、東西に5 キロ、南北に10 キロばかりの湖でした。義家は家来たちに命じ、長旅の疲れを癒そうと、この湖に船を浮かべ、供の者たちと酒肴に打ち興じていました。すると一天俄かに掻き曇り、雷鳴が轟き、湖は荒れ狂い、船はあたかも木の葉のごとく揺れ動いたのであります。
やがて嵐は去り、湖はうそのように静まり返ります。人々を改めてみると、供の中でもとりわけ寵愛していた伏見源八常世と申す若侍のいないことがわかりました。
「さてはこの湖に棲むという龍姫の餌食にでもなったのか」と嘆き悲しみました。
せめて遺体なりと見つかればと、義家は奥州一宮である近津大明神に願をかけます。夢の中、明神が現れ、こうお告げになりました。
「九つの袖を切るべし。」
九つというのは小峰の九つ連なった山のことです。義家は早速家来に命じ、羽黒山と九つ山の間を掘っ切りました。見る見る湖は湖底を現し、龍もその像を現します。すかさずその龍を目がけて、千本の矢を放つ。そのうちの一本の矢は大きく逸れて、明神様まで飛んでいく、その地は八槻村と名付けられました。また血が大量にあふれ出て朱に染まったところから、赤岡、赤坂と呼び、その他千本、蛇頭、常世北野、常世中野、弓張堂山、江龍田等々の地名が現在でも残っています。
しかし源八の姿は何処にもなく、数日後、龍ヶ沢の隣の沢、太鼓舘下のほっちごというところの泥の中から見つかりました。義家は源八を不憫に思い、そして龍を殺めたことに自責の念を感じ、源八と龍女の菩提を弔うべく、伏見院源八山龍沢寺という小さな菴を建立し、末永く回向したといわれています。
現在でも塙町に伝わるこの伝説を裏付けるかのように、この辺り一帯には、貝の化石が無尽蔵に埋蔵されているのであります。

ごあいさつ

福島県南端塙町に在る龍沢寺徳林寺の由来となる源八幡太郎義家(ミナモトノハチマンタロウヨシイエ)伝説から時は1057年義家公は勅命を受け当地に布陣した。
すると突然の嵐に襲われ伏見源八常世と申す若侍が行方不明になった。
さては、この湖に棲むという龍姫に掛かったと思い西の山を掘りきって湖水を抜いた。
すると龍が現れたので千本の矢を放って退治したというところが若侍は別所から見つかり自責の念を感じた義家公は源八と龍姫の菩提を弔うべく伏見院源八山龍沢寺 常世山徳林寺を建立し末長く回向したという。
本尊は満願虚空蔵大菩薩 法相派にて開山したが約五百年後に曹洞宗となる。
この伝説を裏付けるように寺周辺には貝化石の地層がある。
別当寺として龍神様 姫神様 赤坂愛宕様 八幡大般若の御祈祷祭礼が毎年連綿とあり歴史の重みを感じます。
現住職は帆苅浄二です。
曾祖父は新潟の農家に生まれて近在の寺で修行し縁有って塙町で住職となりました。

寺院の特色
出張葬儀 寺院葬 永代供養 墓地
祈祷 樹木葬 ペット供養 水子供養
専用会館 駐車場 バリアフリー その他
寺院概要
住所 〒963-5407 福島県東白川郡塙町西河内龍ヶ沢18
アクセス 【公共機関の場合】
JR水郡線「磐城塙駅」から車で15分
電話番号 050-8890-6058
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