照光寺について
照光寺の開基は、平重盛(たいらのしげもり)の孫、盛綱(もりつな)の四男、長崎四郎照光(ながさきしろうてるみつ)と名乗り、出家し禅宗の僧となり、ここ石榑(いなべ市)に於いて一寺を建立し、南山長崎院照光寺(なんざんちょうきいんしょうこうじ)と名付けられました。遡ること延暦八(789)年、時の弘法大師(空海上人)が自らお彫り下さった弥陀如来像を本尊とし、真言宗寺院として護持発展してきましたが、宝治元(1247)年、時の住職澄念が、親鸞聖人に帰依し真宗に改宗されました。その後、浄土真宗本願寺派として現在の住職で二十三代目と受け継がれております。
中興の祖と言われる本願寺門主第八代蓮如上人(れんにょしょうにん)(1415~1499)が当山、照光寺へ御来寺になったのは、上人が35歳、宝徳元年(ほうとくがんねん)(1449)でありました。
宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)35歳のとき、越後の国府(こくふ)(現在の上越市)へ御流罪になってみえることを考えて、蓮如上人が北国御巡錫(ほっこくごじゅんしゃく)を思いたてられ、その途上のことと伺われます。その経路については定かではありませんが、一説によれば八風峠(はっぷうとうげ)(竜ヶ岳)を越えてこられたと言われています。1600年ごろは二百余の末寺を抱え伊勢三大寺の一つに数えられ、中本山格の寺院として御法義が伝えられました。
蓮如上人御来寺のご縁で毎年行われるご開帳は、その創始の年月は不明ですが照光寺現本堂が天保14年(1843)に起工され、その後数年にして大略再建されたことを記念して始められたと考えられます。ちなみに当山第18代住職隆恵の時代に、寺社御役所に対して、「蓮如上人の祥月に当たり宝物を三日間開帳するについて建礼を願い上げた」との文章があり、その願状に未2月とありますが、これは弘化4年(1847)2月であるから少なくとも、200年ほど、さかのぼることができます。
寺伝の宝物については種々ありますが、その主なものは高祖聖人(こうそしょうにん)親鸞聖人御木像(蓮如上人作)をはじめ、蓮如上人の六字名号、御愛用の念珠、御扇子など蓮如上人縁(ゆかり)のものを中心に 展示しております。
ごあいさつ
現在の全ての寺院に寺号の前に山号が付いていますのも、もともと仏教寺院は山間にしかなかった名残でした。住所、写真等をご覧頂いておわかりの通り、拙寺は歴史的にも古く、文字通り山にある寺院です。しかし、今の世の中において多くの方々に「動かざること山の如し」では仏教に触れて頂くことはかないません。如何なる時代であろうとも、人と人とのご縁(繋がり)を大切にしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
寺院の特色
出張葬儀 | 寺院葬 | 永代供養 | 墓地 |
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祈祷 | 樹木葬 | ペット供養 | 水子供養 |
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専用会館 | 駐車場 | バリアフリー | その他 |
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