永久寺について
開山の祖とされる「宗門中興」「久遠成院」日親上人は応年14 年(1407 年)下総国の埴谷に生まれ、14歳で下総国中山法華経寺「第6 世日遍上人」に就き、出家しました。
19歳で九州肥前の国松尾山光勝寺に西海総導師として大いに宣揚しましたが、法華経寺との確執が生まれ、単身で全国布教を始めました。宝徳2年(1451年)に身延山を参詣しようとした際、早川の川止めに遭ったため、この飯富の地に留まって布教し、自ら開祖となって一寺とし、弟子である日東上人の 所化名を取って永久寺としました。
日蓮宗本山京都本法寺を開山した日親上人は幕府への諌言によって捕えられ、7種類の拷問を受けました。
その中で、真っ赤に焼けた鐺を日親の頭の上にかぶせるという拷問がありました。
髪は燃え、肉も焼けただれましたが、しばらくして本復しました。
このことがきっかけで、日親上人は「冠鐺上人」と呼ばれるようになりました。
寺院の特色
出張葬儀 | 寺院葬 | 永代供養 | 墓地 |
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祈祷 | 樹木葬 | ペット供養 | 水子供養 |
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専用会館 | 駐車場 | バリアフリー | その他 |
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