丹生寺について
寺には山号、院号、寺号があり、正式名称は「一法山清浄院丹生寺(いっぽうざん しょうじょういん たんしょうじ)」といい、寺号の丹生寺は浄土宗の寺として日本国内唯一の寺名であり、丹波島で生まれた寺ということから丹生寺と名付けられたのではないかと言われています。そして丹波島宿駅住民の墓所寺として丹波島の歴史を刻んできた村寺であります。
開基は延徳2年(1490年)生譽海底和尚により開山された浄土宗智恩院派の末寺であります。寺の記録では在位8年であり、そのあとは無住であったようです。 善光寺平で繰り広げられた川中島合戦も収終し、戦いから逃れていた住民も定着し始めた天正5年(1577年)第二世善龍和尚が定住した記録があります。
しかし、善龍和尚が亡くなると再び無住の寺となりました。そして丹波島が宿駅として整備され、街づくりが行われ、機能し始めた元和元年(1615年)から令和の今日まで、丹波島の村寺として歴史を記してきました。
御本尊は阿弥陀三尊立像で、元禄年間に問屋の柳島市郎左衛門寛休により寄進された像であります。 現本堂は平成四年に500年記念事業として改築建立されました。明治初期は寺子屋、明衷学校として地域の教育に貢献したようです。 寺内には二基の馬頭観世音碑があります。
ごあいさつ
住職は髙橋俊彦と申します。昭和34年9月14日生
長野県立屋代高校から立命館大学に進み、長野県の公立高校の地歴・公民科の教員として勤務し、現在に至ります。その高校教員も令和5年3月末にて退職予定です。
また、僧籍は3年にわたる浄土宗少僧都養成講座にて取得し、僧階は現在大僧都にあります。平成15年に晋山式を済ませ、丹生寺第25世住職となり現在に至ります。半分僧侶、半分一般人という生活を続けてきているため、どちらかに偏らず、寺院・一般家庭と両方の考え方、感じ方がわかると自負しております。ですので、どんなことでも気軽にご相談頂ければ幸いです。
寺院の特色
出張葬儀 | 寺院葬 | 永代供養 | 墓地 |
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祈祷 | 樹木葬 | ペット供養 | 水子供養 |
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専用会館 | 駐車場 | バリアフリー | その他 |
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