圓通寺について
明石藩領地内、羽岡の丘に観音道場の古跡がありました。万治3年(1660)頃時の藩主松平信之公が此の原野を開拓して近在領民を住まわせ一村をなしたのが現在の鳥羽新田であります。公は又、村里の発展と福利繁栄を祈願のために家来に命じて大悲水寺(観音堂)を建立し本尊観世音菩薩を安置し奉り村の鬼門除けとしました。境内を整地、寺護持の為、田六畝余を藩の土地台帳から外し幾ばくかの田から獲れる穀類で仏膳日供の費に充てるよう寺の基礎を定められました。江戸中期、享保20年(1735)松平信之五十回忌にその徳を慕い、村民の手で「報徳碑」を建立。松平信之は大和郡山藩と下総古川藩に国替えになり、貞享3年(1686)に没している。公の遺徳を偲んで、村人は位牌を安置し奉り、没後50年享保20年(1735)に報徳碑が建てられましたが、風化が進んだため平成12年に建て替えられ現在も圓通寺境内にあります。
ごあいさつ
圓通寺 大神俊敬と申します。
有縁・無縁を問わず全ての方々の葬儀・法事、心をこめてお参りさせていただきます。お気軽にお問い合わせください。
また、永代供養・お墓に関するお悩みもどうぞ御相談ください。
合掌
寺院の特色
出張葬儀 | 寺院葬 | 永代供養 | 墓地 |
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祈祷 | 樹木葬 | ペット供養 | 水子供養 |
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専用会館 | 駐車場 | バリアフリー | その他 |
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