養泉寺について
天正7年(1579)織田信長が再度石山本願寺攻めを行いました。本願寺派の軍勢は、武運拙く木下藤吉郎の前に敗戦し、顕如上人の長男、教如上人は信長との和議を拒み堺・岸和田・和歌山へと落ちのび、雑賀崎鷹の巣洞窟に身を隠したと伝えられています。それを知った井本源兵衛は食事を運び教如を援助しました。その恩返しに、本願寺秘伝の製薬法を源兵衛に伝授したとされています。これが今日も重宝されております「和歌保命丸・わかのうら薬」です。その後、源兵衛は真宗に帰依し、慶長2年(1597)養泉寺を創建されました。そして、寛永2年(1625)寺号を許され、徳川頼宣から寺に三つ葉葵を戴きました。
ごあいさつ
この度は、当ページをご覧いただき有り難うございます。養泉寺は顕如上人、教如上人とのご縁を頂戴して以来、430年以上の歴史を育んできた浄土真宗の寺院であります。愛する人がお亡くなりになられること程、つらく悲しいことはございません。その悲しみの中で葬儀・年忌法要等、ご法事を通じて本来の供養である、「亡き人を偲びながら真実なる仏のみ教えに出遇っていく」ということを、ご一緒にお念仏を申しながら探っていきたいと存じます。
合掌
寺院の特色
出張葬儀 | 寺院葬 | 永代供養 | 墓地 |
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祈祷 | 樹木葬 | ペット供養 | 水子供養 |
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専用会館 | 駐車場 | バリアフリー | その他 |
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